はるの事業概要

基本的理念 「働くこと」へのこだわり-

私たちがパイ焼き窯を作り育ててきた中で何よりもこだわり続けて来た事は、メンバーたちの「人間らしく生きる」権利を保障して行く為には、生活のベースに「働くこと」(仕事)が確保されていなければならないという基本理念でした。一般的に「人間らしく生きる」ということの内容を考えた場合、次の三つの事柄が保障されている必要があると考えます。
  • @ 今暮らしている社会の文化を共有できること 
  • A 自分のことを自分で決め、そして責任を持つこと
  • B 地域自立生活への自信と楽しさを獲得する
  • C 社会に役立つという関わり方の中で成長していくこと
 以上の三つです。

そして、このような状態を作り出す為の要になるものが「労働」であると私たちは考えている訳です。 1992年春。世田谷区のある作業所の新米職員だった私は、そこで過ごすメンバーたちの「仕事がしたい、もっと高い工賃を! 就職して家庭を持ちたい」という声に共感しました。そして「多様で高い技術を要する作業とそれに見合う高い工賃を保障し、障害の軽減と人としての誇りの獲得を目指す」そんな作業所を作りたいという思いに駆られ、実験的にでもやってみようという決意でパイ焼き窯設立に動き出しました。 当時は、精神障害者の雇用支援システムも、仕事(労働)を通して障害の改善を図るという理論や実践もありませんでした。「負荷を掛けたら再発してしまう、今のままでいいんだ」という声が大きい時代でした。15年間、知的障害児の発達保障の仕事に関ってきた経験から、「どんなに重い障害があっても、また精神障害者であっても、その人に相応しい環境(文化・制度・人による支え等)があれば、障害は軽減し人として成長する」という信念に基づいてのスタートでした。

設立とその後の実践 12年間のあゆみ

1994年4月 共同作業所「パイ焼き窯」設立

メンバーや家族にとって待望の新作業所が尾山台商店街の一角に誕生しました。職場の顔と福祉施設の顔の両面を持つ模擬職場として、又おしゃれな商店街のケーキ屋としてのスタートです。 設立当初のこの作業所のねらいは、経済的自立を支える為の高い工賃と、障害の軽減を図る為に、能力や好みに応じて選択できる可塑性と応用性のある作業を設定することでした。これは、利用者側から見れば、親に依存しないだけの収入と自分に合う仕事・能力の発揮できる仕事が欲しいという期待でもありました。さらに付け加えるならば、「明るく健康的な職場」、「障害者っぽくない場所」、「相談者や支援者がたくさんいる」、「話し合える友人や仲間がいる」、「障害が軽減され、地域の普通の人なる事への期待」なども大事な要素だったと思います。

1995年 利用者層の広がりに伴う新たな課題

都内の各所からの20〜30代の利用希望者が急増しました。しかし、すべての利用希望者にパイ焼き窯での仕事が合っていた訳ではありません。自分自身の働きたいという希望と、実際に始めてみると思うように働くことができない自分の現実とのギャップから、退所する人も少なくありませんでした。  「働きたい」というニーズに広く応えたいという想いと、パイ焼きグループ単独では責任を持ってニーズに応えることが出来ないと言うジレンマに、歯がゆい思いを深めるばかりでした。ゆるやかで、しかも「働きたい」というニーズにしっかり対応できる多くの機能や事業をどこに求めていけばよいのか…他機関との連携の重要性を痛感させられた時期でした。

1996年 「一般企業に近い作業所を作って!」

作業量(焼き菓子の注文量と生産量)は年間1,200万円を超えましたが、メンバーの「もっと働いて高い工賃を!」のニーズに充分応えることができません。    又、企業の面接を受けて落ち続けたあるメンバーから「パイ焼き窯の中で、自分はごく普通に仕事が出来ると自信をつけていた。しかし、企業ではまだ通用しないんだな〜」との厳しい現実を突きつけられました。それらは、「一般企業にもっと近い形態の作業所が欲しい」という声になっていきました。

1997年 第2パイ焼き窯誕生

とりあえず作業所を開設することが大切という想いで自主運営スタートを切りました。この取り組みは、資金集めが重要な課題でした。家族会への呼びかけをきっかけに、パイ焼き窯家族会の誕生へと繋がっていきました。徒歩3分の距離にあるマンションのワンフロアーで、こちらは、“より高い技術習得と高い工賃を保障し、週18時間以上作業できる人”を対象とし、第1作業所との役割分担を行いました。

1998年  パイ焼き茶房(第2パイ焼き窯)

自主運営の一年間の実績が認められ、区内最後の作業所として第2パイ焼き窯が東京都補助金対象となりました。名称「パイ焼き茶房」の誕生です。

1998年 「パイ焼き茶房」が喫茶店としてリニューアルオープン

玉川の地域に相応しく、おしゃれと美味しいケーキを売り物にした喫茶店です。 地域の中の情報発信基地に、そして、乳児を抱えた母親や高齢者や心の疲れた人々にとってのオアシスにとの願いをこめたお店を目指しました。  焼き菓子の売上2,000万円を達成し、メンバー工賃は7万円/月(時給600円)の人も現れました。  この時期、小規模作業所の規模を超える事業展開と為った事や、東京都の補助金の仕組みが変わっていきそうだという動きが出てきて、今後の運営方向で悩みました。作業所の身軽さ・柔軟性と、社会福祉法人取得による拡大安定のどちらを選ぶべきかをです。土地も資金も人脈もない中で選んだのは、法人格取得と法内施設建設の道でした。1994年の設立当時から、多くのボランティアの支援を頂いてきましたが、法人化準備と同時にボランティアの組織化が進みました。パイ焼き窯サポーターズとして、当グループの強力な応援団になり、今日まで物心両面の支援を頂いています。(法人化運動:サポーターズ250名 資金作り4,000万円)

2001年 「社会福祉法人 はる」設立認可

2年数ヶ月に及ぶ法人設立認可運動が実り、7月、念願の社会福祉法人格を取得することが出来ました。名称は、響きが優しく可塑性を感じられるパイ焼きらしいものにと、「はる」に決まりました。施設建設着工(メンバー建設委員会も出来て、より使いやすく過ごしやすい施設・設備を出しあいました)

2002年 通所授産施設「社会就労センターパイ焼き窯」設立
(運営母体:社福法人はる)

利用目的・対象者・利用期限を明確にすることに伴い、利用希望者は自分の将来像が描きやすくなりました。 精神的な自立度が高まり、「家族からの独立」を望む声も高まり、これがグループホーム設立の原動力となっていきました。  開設と同時に力を入れた事業に「精神障害者就労支援システム」があります。このシステムは、パイ焼き窯の訓練・評価の成果をきっちりと企業に結びつけ継続させる為に、絶対に不可欠だったのです。世田谷区との話し合いの末、この方向で一致出来た事が次の大きな展開に繋がりました。

2003年 10月 2事業が新規運営開始

グループホーム「はるの邑」設立 利用者5名が職員と共に、やがてアパート等での生活を目指す自立生活訓練に入りました。   パイ焼き茶房が共同作業所から小規模授産施設になり、職員3名体制になりました。

2004年 世田谷区精神障害者就労支援センター「しごとねっと」開設 (資料1−1・2)

短期就労訓練事業(世田谷区委託事業)開始。   2002年より世田谷区と話し合いを継続した「精神障害者就労支援システム」が、区単独事業「通称:しごとねっと」として成立し、就労を求めるメンバーにとっては大きな財産を持つことになりました。

障害特性の為に企業就職がなかなか困難な状況にあるメンバーの就労場所を作りました。4年目には完全に独立経営を目指す試行的事業です。06年3月現在、清掃で4名、ヤマトメール便配達に7名雇用されています。[実績:最高配達部数 1900冊/日 485冊/人(一日)]

所在地

住所: 〒158-0082 世田谷区等々力2-36-13
電話番号:03-3702-0459